Reading For Pleasure

読書日記、ときどき食日記

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世界の[宗教と戦争]講座 / 井沢元彦 

旅行前にDLして、ちびちびと読んでいた本。 

ところで、井沢元彦って、『猿丸幻視行』江戸川乱歩賞受賞した井沢元彦?(←古い!!!) 
って、私の知っている著者はエンタメ系の小説家だったが、近年は歴史研究家としてのほうが有名らしい。

本書もお値段は安かったが、良書だった。
世界で起こっている出来事がなぜ起こったのか、その根本を理解することができる。

いまさら言うまでもないが、宗教はいつの時代も争いの元だ。
最近でも、英国でイスラム教スンニ派のリビア系の若者がマンチェスターのコンサート会場で自爆テロを起こしたばかりだし、今度は、ロンドン中心部でイスラム教徒を狙ったテロ事件が起きている。

メイ首相も「もう、たくさん」と言っていたが、宗教嫌いなR・ドーキンスはさぞウンザリしていることだろう。ドーキンスのいうように「神は妄想である」と私も思う。それか、古代宇宙人だったとか(笑)しかし、今更だが多くの人の共通した妄想というのは莫大な力を持つ。

こうも争いが続けば、もう宗教いらなくね?とも思うが、人々にとって精神的にあまりに重要になりすぎているがゆえに、簡単にはいかない。

例えば、イスラム教徒に豚肉は美味しいから食べてみなよ?というのはイスラム教徒の人にとって冒涜以外の何物でもない。著者によれば豚がタブーなのは明確な理由がないそうだが、決まりは決まりだ。
とはいえ、タブーは魅力であるのもまた事実で、牛が食べられないヒンズー教徒の間では決して美味しいとはいえない水牛のステーキが流行っているのだという。実は牛肉を食べてみたいけれども、宗教に反するので食べられない。でも水牛はではないから食べてもOKだというわけだ。
ならば、酒が禁忌のイスラム教徒にノンアルコール飲料が「売れる」のではないか、と著者は提案しているのだが、どうだろうか。ノンアルコールといえども実はちょっとアルコールが入っているのだけれども。

ところで、今も激しい宗教戦争の中心にあるイスラエルは、ご存知のとおりユダヤ人の国だ。長年に渡る迫害や追放されてきたユダヤ人が、自分たちの「国」を作ろうといって作ったのがイスラエルという国である。そして、ユダヤ人というのは、人種や住まう地域、国家的なくくりを指すのではなく「ユダヤ教を信仰している人々」のことだという。
宗教が人間にとっていかに重要なものであるか、の一例だろう。

イスラエル問題や昨今のイスラム過激派によるテロを例にあげるまでもなく、宗教問題は根が深く厄介だ。
私たち日本人からすると、お互いの宗教をお互いに尊重し平和を目指せばいいじゃないかと思うが、そうは問屋がおろさない。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教のそれぞれが「一神教」だからだ。つまり、神様は自分たちの神様だけだとお互いが主張して譲らない。しかも、他教を否定し改宗させようとするのだから始末が悪い。だいたいにおいて、彼らの神様が狭量で排他的なのがいけないのだ。

私たち日本人が他人の宗教に寛容なのは、元来「八百万の神」を信仰しているからだという。(※ただし、日本人は「八百万の神」と「仏教」の混合らしい)
日本人が、クリスマスだといって大騒ぎし、大晦日には神妙に百八つの鐘をきき、正月には神社に詣で、盆彼岸には先祖の墓参りをするのにもちゃんと理由がある。
中国を経由し入ってきた「仏教」が日本で独自の信仰をいかしつつ、ガラパゴス的進化(?)を遂げていったという考察も面白い。

それとともに、なぜ日本は韓国、中国と仲が悪いのも「宗教的背景の違い」によるものが大きいという。言われてみれば納得のオンパレードだった。


  

category: 宗教・思想

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2017/06/29 Thu. 17:12 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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刑務所の経済学 / 中島隆信 

300円の万引きの後始末にかかる税金は130万円かかっている!!

この宣伝文句につられてしまった。
何よりタイトルが魅力的でキャッチーではないか。

このタイトルから、損得勘定に基づくリアルな刑務所の"経済学"を期待していた。
収監されている受刑者の労役は、一人当たり一日いくらなのか。我々は現在囚人一人当たりどのくらい負担し、社会にはいくら還元されているのか。労役のない死刑囚を収監しておくコストはどれくらいなのか。高齢化していると言われる刑務所内の年間の医療費はどれほどなのか...etc
しかしながら、この本はタイトルにあるような経済学的見地から刑務所を語る本ではない。
まず、『◯◯の経済学』というのは、この著者のお決まりのいわばシリーズ化されたタイトルである。そして本書は東洋経済新聞社からではなく、PHPから出版されている。
何が言いたいかというと、ぶっちゃけ経済学という言葉に期待しすぎてはいけないということだ。

端的にいってこの本は、「やり直しのできる社会」についての著者の意見を述べた本、だと思う。
これはこれで、いかにもPHP的に共感され、感動される方もいらっしゃることだろう。とてもファンタスティックなことである。ただ、私はそうではなかったというだけで…

特に残念だったのは「少年犯罪とサイコパス」について語る第5章である。ここでこそ、少年法の倫理的意義についてではなく、損得勘定からみた少年犯罪の処し方について語ってほしかったなぁ。
もう丸っとR・ヘアの『診断名サイコパス』のレビューだと言っていいんだもん。
しかも「サイコパスの犯罪者には、サクセスフル・サイコパスになれるよう手助けをしてあげよう!」とこの章を締めくくっているのだ。

えっ????

突っ込みどころ満載で、実は結構楽しいかも?

bi 刑務所の経済学
 中島隆信
 PHP研究所 2011/11/22
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診断名サイコパス―身近にひそむ異常人格者たち (ハヤカワ文庫NF)診断名サイコパス―身近にひそむ異常人格者たち (ハヤカワ文庫NF)
(2000/08)
ロバート・D. ヘア

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category: 宗教・思想

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2012/03/17 Sat. 20:43 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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不道徳教育 ~擁護できないものを擁護する / W・ブロック 橘玲訳 

おっ、三島か?と一瞬勘違いしてここに来ちゃった方にはごめんなさい。

本書は経済学の思想のお話である。最近文庫化もされたらしいが、文庫に際しては、タイトルの「不道徳教育」は、「不道徳な経済学」と改題されている。

不道徳な経済学──擁護できないものを擁護する (講談社プラスアルファ文庫)不道徳な経済学──擁護できないものを擁護する (講談社プラスアルファ文庫)
(2011/02/22)
ウォルター・ブロック

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本書で語られるのはリバタリアンの思想である。
リバタリズム?リバタリアン
オバタリアンの親戚?でもハイレグでもありませんから…。

結構古くて、70年代のアメリカのベストセラーらしいが、なんといっても橘玲氏による”超訳”がなされている。
著者の思想はそのままに、現代日本用にカスタマイズされているという。
私は、かなり以前に『マネーロンダリング』 読んだときからの橘玲氏のファンなのだ。最近は小説は書いていないみたいで、残念なんだけども…。

最近の橘さんはリバタリアンなるものを公言しているが、リバタリアンとは何ぞや?
簡単にいえば、”市場原理主義に基づいて自由に生きることはよいことだ”という経済学的思想のことである。
ドーキンスらがダーウィンを信じているがごとく、彼らはアダム・スミスの「見えざる手」の力を信じている。
この哲学の基本は「誰の権利も侵害していない者に対する権利の侵害を正当化しない」ということで、つまりは、リバタリアンの思想とは「人をいきなり殴りつけるような行為のみを批判する」ことだといっていい。
その思想のもとでは、売春婦やポン引き、覚せい剤の売人、女性差別主義者から闇金融、ホリエモン、子供を働かせる資本家に至るまで、一般に不道徳といわれる人々は、一転ヒーローとなるという。
ホリエモンはともかく、売春婦に覚せい剤の売人、女性差別主義者は、どう考えたってヒーローなんかになりえないだろう、と思うでしょ?ところが、どっこい。コメルニクス的なリバタリズム・マジックによれば、悪は善になってしまうのだ。論理的には、最後には「まいったな。あんたが正しいよ」に変えさせられる。
この見事な展開の魔法が読みどころでもある。
かのハイエクが序文で述べているとおり、リバタリアンの思想は劇薬であり、この”劇薬”は非常によく効き、その効果は爽快ですらある。
経済を本当に理解するためには、様々な偏見や幻想から自由でなければならないのだ。

ところで、リバタリアンが理想とするのは、極限まで最小化した政府による国家だ。なぜなら国家こそがリバタリアンのいうところの「悪」の定義にあてはまるのだから。
リバタリアンにいわせれば、徴税は善良な市民に対する国家による暴力的な行為に他ならず、国家は保護とか規制といった形でその国の市場をゆがめている。

例えば、リバタリアンによれば、「アフリカの貧しい人々に救助の手を差し伸べるのは、アフリカをより貧困化させる」という。
飢饉が起こりアフリカの子供たちが飢えに苦しむと、世界中から援助というかたちで膨大な量のトウモロコシがアフリカに送られてくる。だが、この善意のトウモロコシは役人にネコババされて、トウモロコシ市場に横流しされるのだ。元手がタダのネコババ役人は価格が安くても儲かるが、トウモロコシ市場は暴落し破壊される。それは、すなわち人々が経済的に自立する手段を奪うということを意味する。儲からないのであれば、トウモロコシを作ろうという人はいなくなるからだ。自力で市場が形成されなければ、経済は成り立たない。挙げ句、役人は援助物資のピンハネがやめられなくなり、アフリカは乞食に成り下がるというわけである。善意は、かくして不道徳なことに変わってしまう。
これが単なる屁理屈でないことは、何十年にもわたって世界中がアフリカを支援し続けても、アフリカの現状が全く変わっていないことからもわかる。経済的にみるならば、慈善は悪であり、慈善団体に寄付しない冷血漢はヒーローなのだ。

だが、もしあなたがアフリカを旅していて、今にも死にそうなほど痩せ衰えた飢えた子供が道端に座り込んでいたとしたら、バッグにあるチョコバーをその子に差し出さずにはいられないではないか?
日本にいて、アフリカのガリガリに痩せ衰えた今にも死にそうな子供の写真をみせられれば、それと同じ効果が生じるだろう。多くの人善意からなんらかの援助がしたいと申し出るに違いないと思う。
リバタリアンの思想は経済的に中長期的に考えれば全く正しいが、短期的にみるならば、その子たちは死んでしまうだろう。
経済の外にあるこの種の問題を超えられない限り、リバタリズムは前に進めないのではないかとも思ってしまう。
著者は異なる見地でダーウィンのnatural select 適者生存を説明に用いているが、残酷な面で通じるものあるのは興味深い。

不道徳教育不道徳教育
(2006/02/03)
ブロック.W

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category: 宗教・思想

thread: 最近読んだ本 - janre: 本・雑誌

tag: リバタリアン  橘玲 
2011/03/07 Mon. 08:49 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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神は妄想である~宗教との決別 / R・ドーキンス Vo.2 

(前エントリからの続き)
宗教の存在意義としてよく言われるのが、がなくてどうやって人は善良でいられるのか?ということだ。
熱心な信仰を持つ人は、良心は信仰に由来するというのだが、ドーキンスはこれを実験で覆す。信仰を持つ人とそうでない人との比較実験の結果は、道徳的判断は信仰の有無に関係がないというものだった。
そりゃそうだ。日本人の大部分はほぼ信仰を持っていないのだ。もし良心が信仰に由来するものだとしたら、日本は悪人だらけということになってしまう。

ドーキンスはなぜここまで宗教を敵視するのか。それは先の911事件がきっかけになったのだという。
彼は、本来人を救うべきはず宗教が、その宗教の名の元に大虐殺を引き起こし、憎しみを煽り立ててるのを目の当たりにしたのだ。
原因は、イスラム教のも、キリスト教のも、狭量で自分以外のを認めようとしないからだという。だから、信者も他の宗教を認めようとしない。実は、イスラム、ユダヤ、キリスト教の々は元をただせば同じ人物だと聞けば、どれほどバカバカしいかがわかるだろうというのだ。
そして、過激な行動にでるのは、たいてい各宗教の原理主義者たちと相場が決まっている。
イスラム教過激派による自爆テロしかり、キリスト教原理主義者ブッシュによるイラク侵攻しかり、中絶クリニックを爆破したプロライフしかり...。
なにしろ、彼らは古い世界観こそが正義だとかたくなに信じており、道徳感も旧約聖書の時代から変わっていないので、現代社会から大きく逸脱してしまうのだという。

こういうドーキンスの言葉は、原理主義者には届かないだろうが、彼は既にイっちゃている人々に訴えているのではない。
実は無神論者だがカミングアウトできない人や、さらには信じていないにも関わらず、宗教内部に身を置いている人々に訴えているのだ。宗教はやめたければやめてもよいのだと。

ドーキンスは常に「壮大な視点」を持つことの大切さを我々に教えてくれる。
猿が人間なったことが信じられないのは、我々が何億年という膨大なときの流れを直観的に捉えることができないからだともいう。
「虹の解体」ではその時間軸を人間の両腕を例え説明しているが、両腕を拡げ左手のから生命が誕生したのだとすると、ホモ・サピエンスが出現したのは右手の指先ほどにしかすぎない。
最終章では、これと同様のたとえをイスラムの女性の伝統的な服装であるブルカに例えて説明する。例のイスラムノ女性が身につけている目の部分だけがかろじて露出している例の黒尽くめの服装だ。我々のブルカの窓は狭いが、そのブルカを脱ぎ捨てたとき見える光景はどんなものだろうかと。

ドーキンスが望むように、これまで宗教が担ってきたことが、”知”によってとって代わられたら、どんな世界になるのだろうか。

category: 宗教・思想

thread: 宗教・哲学 - janre: 本・雑誌

tag: ドーキンス    宗教 
2011/02/22 Tue. 12:30 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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神は妄想である~宗教との決別 / R・ドーキンス Vo.1 

ことに欧米では、これほど挑戦的なタイトルの本もないだろうと思う。
しかも、500ページ以上も費やし、神は存在せず、宗教は人間にとって不要であるばかりか、悪影響をなすと断じているのだ。

神は妄想である―宗教との決別神は妄想である―宗教との決別
(2007/05/25)
リチャード・ドーキンス

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ドーキンスの本を一冊でも読めば、彼が無神論者であることは容易に想像できる。彼の専門は進化生物学であり、ダーウィンの進化論だ。その進化論は、天地創造説とは相容れない。彼は宗教を詐欺のようなものだと断言して憚らない。
神の存在の問題は別として、現代の日本で、創造説や聖書に書かれていることをそのまんま馬鹿真面目に信じている人はゼロではないにしろ、かなり稀だろう。
だが、アメリカの有権者の実に5割もの人は、聖書に書かれていることを信じているのだというから、驚いてしまう。

聖書に書かれている神は、とにかく厳罰主義だ。ドーキンス曰く、アダムとイブが禁断の実を食べたことは"軽微な罪"である。しかし、その軽微な罪によって、彼らだけでなく彼らの子孫までもエデンの園から永久追放され、永遠の命を奪われ、出産と労働という苦しみを強いられることになったのだ。それでは容赦がなさすぎるではないかとドーキンスはいう。
この禁断の果実は、”善悪を知ること”の暗喩であると言われるが、そもそもどうして”善悪を知ること”が罪なのだろうかというのだ。

それでもまだ、修正が重ねられてきた新約聖書はマシで、旧約聖書の神ヤハウェはドーキンスよれば「残虐な鬼畜」である。何しろ、他の神にちょっとよそ見をしたからといって村を丸ごと水没させたり、戦に勝たせてやる見返りに、その男の一人娘を焼き尽くす捧げものとして求めたりするのだ。
これに比べれば、「ポップ1280」のニックなど、かわいいものだ。J.トムプスンはこれを皮肉っていたのだろうか?

本書で、具体的に取り上げられているのは、主にイスラム、ユダヤ、キリスト教の神であるが、それは彼や彼の属する社会にとって身近であるからであり、ブッダだけは特別とか、そういうことではおそらくないように思う。
「神が存在するという仮定」をあらゆる方向から論破していく様は、小気味よくさえある。
辛辣さに磨きのかかるドーキンスと「神の存在」について公開討論を受けてたとうという勇気ある司教はそういないだろう。

category: 宗教・思想

thread: 宗教・哲学 - janre: 本・雑誌

tag: ドーキンス    宗教 
2011/02/21 Mon. 17:47 [edit]   TB: 0 | CM: 3

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