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読書日記、ときどき食日記

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すばらしい人間部品産業 / A・キンブレル 

さて、『すばらしい人間部品産業』とう本なのだが、タイトルの『すばらしい』は、かのハクスリーの
『すばらしい新世界』と同じ意味を持っている。
ハクスリーの描いた世界は、ユートピアではなくディストピア。両者の「すばらしい」という形容詞は文字通りの群を抜いて優れているとか好ましいという意味ではない。つまり、皮肉。
本書の内容も、ハクスリー描いた新世界に少しにているかも。

現代は、利潤と効率の時代だといわれる。血液、臓器、胎児、卵子、精子、人間の身体さえもパーツ化されて、それを”部品”として売り買いするばかりか、代理母として、その生殖機能までを売買されているのをご存知だろうか。パーツはさらに細かく分断され、はては遺伝子にまで商品化は及んでいるともいう。
自分のパーツを「売る」のは、その殆どが経済的に貧しい人々である。彼らにとって臓器を売って得る金額は、一生涯に稼ぐ金額よりも大きいのだ。
自分の店を持つ資金を得るために腎臓を売ったインド人男性は、「この値段なら片目か片腕を売ってもいいです」と答え、またある女性は、「私には売るものがそれしかなかった。自分の腎臓に感謝しています」と語る。
臓器移植ビジネスの問題は、第三国のみならず、日本でも人ごとではなくなってきており、先だって、やくざの組長とドナーが偽の養子縁組をして臓器売買を行ったというニュースは記憶に新しい。
近い将来、貧しい日本人が富める中国人のために腎臓を売る日がきたりして…

生殖ビジネスには、常に優生学がつきまとう。
現在の技術を用いれば、受精卵の段階で、男女の区別はもちろん、その子がダウン症か、深刻な遺伝病を持っていないかということがわかる。そのため、「異常」があると診断された場合は、堕胎するという選択肢もできてしまった。
治療法のない死に至る重篤な遺伝病のみならず、IQや身長が低いということでも「異常」と捉え、その子が生まれるのを望まないという人々もいるというのだ。なかには、肥満遺伝子を持つ子供を中絶するという夫婦までおり、子供をまるで返品のきく品物のように考えている人もいる。
誰しも、自分の子供には健康で、知能が高く、容姿にも秀でてほしい。しかし、どこまでこだわる必要があるのか。何が「異常」で何かそうでないか、この線引きは非常に難しい。
何より生殖ビジネスは儲かる。
世の中には子供を持つために、金銭に糸目をつけないという人も多いからだ。そこには強力な経済的な制約が生じる。
貧しい女性は再生不可能な卵子を搾取され、他人の子供のために腹を貸す。そしてせっかく妊娠しても、遺伝子検査によって依頼者夫婦の希望にそぐわない結果がでたり、依頼者夫婦の気が変わると、中絶を余儀なくされる。
代理母はある種「人間オーブン」にしか過ぎず、彼女に芽生え始めた赤ちゃんへの母性は無視される。代理母ブローカーは、出産後の面倒な裁判を避けるために、裁判費用が捻出できない貧しい女性を狙ってスカウトするという。
このままもっと突き進めば、まさに『すばらしい新世界』だ。
この新世界では、人は単なる動く機械にしかすぎない。もはや自然妊娠によって生まれる人間はなくなり、無菌シャーレの中で受精し、遺伝子検査の結果如何では、この世に誕生することもない。現実はSFに近づきつつある。そしてそのSFの新世界は悪夢でしかない。

また、興味深いところでは、パルテノジェネシス(無性生殖)にも少し触れられていた。
無性生殖は、1944年にドイツで報告例が見られるという。母親は首尾一貫して男性と交渉を持った事はないと主張し、検査もそれを裏付けていたにもかかわらず、母親と全く同じ指紋、血液型、身体的特徴を持つ女児を出産したとのだという。第二次世界大戦中のことであり、医師は爆撃のショックにより、彼女の子宮内の体細胞に何らかの刺激が加わって、無性生殖を引き起こしたのではと考えたらしい。
19世紀の研究者は、パルテノジェネシス技術に夢中になり、それは、今日のクローン化技術の第一歩となった。「もはや生殖に男性は不要」という見出し目にしたのも、記憶に新しい。
96年、ウィルムットは、成体の羊の乳腺から取り出した細胞の核を、未受精卵に移植したものを代理母に着床させ、仔羊を誕生させることに成功した。
ただ、羊のドリーの例にもれず、クローン化の影には数えきれないほどの失敗が隠されている。そして、ドリーが急速な老化を原因とした症状で死んだのもまた事実だ。
人間は動く機械なのだ、といいつつも、その仕組みはまだ完全にはわかっていないし、生命の誕生についてはまだ謎に包まれている。これは、原子力をコントロールできないのに、原発をばんばん建設してしまった状況と少々似ている。

我々は、いつから自分たちの身体まで商品として扱いはじめるようになったのだろう?
著者はその萌芽を、ガリレオとアダム・スミスに見出す。ガリレオの大罪は、それまでの宗教の創世記的価値観をひっくり返し、「人間を動く機械」として見始めたということであり、スミスの罪は、今の暴走とまらぬ「市場原理主義」を生み出したことである。
この先は、もっと経済格差は広がり、中流階級は没落していくことだろう。一握りの超富裕層は、国をも凌ぐ富を持つようになる反面、大多数の人間は貧しさにあえぐようになるかもしれない。先行きは暗く、市場原理主義は既に限界にきているような気もする。
前世紀、科学は驚くほどの進歩を遂げた反面、研究者たちはモラルよりも自らの能力の証明を優先させたがった。そして、科学と経済は強力なタッグを組んで邁進した。本来そこには、倫理観や社会道徳がなければいけなかったのにもかかわらず、私たちは立ち止まって考えるということをしてこなかった。このまま放置すれば、必ず未来はディストピアになるだろうと著者は警告している。
今の時代、大学で哲学を専攻しても就職先を見つけるのに苦労するだけだろうが、逆に今のこんな時代こそ、一見役に立ちそうにない哲学や文学は必要なのじゃないかと改めて思ってしまう。
「国立大学に文学部なんて金の無駄だから、なくしてしまえ」と平然と言うエコノミストもいるが、金儲けだけに特化することが良いことだとは思えない。

どうすれば、この人間部品産業の暴走は食い止められるのだろうか?エホバのように極端に輸血をも禁止してしまうほかないのだろうか。
しかし、そうしなくても私たちは人間の身体、命の尊厳を取り戻せるのだと著者はいう。それは、無償供与と共感という考え方だ。
我々は一度立ち止まり、古きものの考え方に立ち返るべきなのかもしれない。命を目の前にした時、私たちが直感的に感じる「尊厳や畏怖の念」は、キリスト教やユダヤ教が伝統的に教える「目的に対する手段として人間を扱ってはいけない」という教えと符合するのだという。
宗教こそが世界を救うとは私は思わないし、宗教は時として災厄であるとさえ感じるが、こういった道徳については、確かに評価できると思う。ただ、著者は敬虔なクリスチャンなんだろうなぁ…。
人間を考えるときに、その肉体面のみを考えるのではなく、精神と肉体という二元論で捉えていくべきだという考え方にも共感できる。

本書は、前半かなりの部分を割いて、バイオテクノロジーと市場主義がもたらしたおぞましい人間部品産業の現実を明らかにするが、重要な部分はむしろ後半にあると思う。問題提起的な本の大概の例にならわず、具体的な施策まで明記しているのも評価できるだろう。
ただ、強欲資本主義=人間の欲望というものは手強い。もしも、この施策がアメリカで法案化されたとしても、人間部品産業の暴走は止まらないかもしれないな、などと思ってしまう。



すばらしい人間部品産業すばらしい人間部品産業
(2011/04/15)
アンドリュー・キンブレル

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category: ポピュラーサイエンス

thread: 最近読んだ本 - janre: 本・雑誌

tag: 福岡伸一    すばらしい新世界  人間部品産業  ディストピア  臓器移植 
2011/08/22 Mon. 18:40 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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