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読書日記、ときどき食日記

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ボディショッピング 血と肉の経済/ドナ・ディケンソン 

ボディショッピングボディショッピング
(2009/02/21)
ドナ ディケンソン

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少し前の週刊文春の書籍紹介で目にして興味を惹かれ、機会があれば読んでみたいと思っていた本。

ボディショッピング。一見、人の身体の売買というグロテスクな好奇心を煽るようなタイトルだが、本書の趣旨はそもそも「人間の身体を市場に乗せること」の意味について読者に問うことにある。
本書は哲学者、法学者としての著者の立場と自分の倫理観から、ボディショッピングを正当化しようとする風潮に反論し、警鐘を鳴らすものだ。
そして著者の意見は、識者のなかでも”少数意見”だという。


今日人の身体はすべからく商品だ。バイオテクノロジーがそれを可能にした。

臓器はもちろん今や、骨、皮膚、卵子や精子、果ては病気のために身体から切除された細胞片にいたるまで、市場と無縁ではない。
それらには「相場価格」まで存在する。

また、巨大なバイオテクノロジー産業を中心とした利害関係者はハゲ鷹のように目を光らせ、価値を生む遺伝子や組織を見逃さない。
そしてそれによって、思いもよらぬ状況が作り出されている。

例えば、既に成人しているある男性の性器の包皮組織は、培養し加工され、今日、美容整形の分野でアンジェリーナ・ジョリーのような唇を切望する女性たちのために使われている。
当の本人は、街で見かけたセクシーな女性の唇の一部が自分の包皮の細胞からできているなど、思いもよらないだろう。(ドラマnip/tuckにはプッシーリップという逸話がでてきた)

昔なら問題にならなかったことが、今日の技術の進歩によって重大な問題に発展することも多くある。

先の女性の唇をふっくらさせるための包皮細胞の元の持ち主は、「アンジーのリップの素」に対し権利を主張することができるのだろうか?

これは、アメリカで争われたジョン・ムーアの裁判が答えを明らかにしてくれる。

ムーアは治療上必要があり脾臓を摘出したが、彼の細胞は非常に医療上有益な特性を持っていた。彼の脾臓の一部は本人の承諾なく研究者の手に渡り、それを基にして利益を生む生物材料となった。
ムーアの組織は本来必要な措置によって切除されたもので、従来ならば廃棄されるべきものだった。が、今日のバイオテクノロジーがそこに価値を与えた。廃棄物は「バイオバリュー」という価値を持ち得る時代となったのだ。

これに対し、ムーアは所有権を主張したがアメリカの裁判所はムーアの主張を認めなかった。
多分、同様の裁判をくだんの包皮の男性が起こしても、認められないだろう。
同様のことは各人の遺伝子にも言える。
遺伝子は特許が認められている。
特許を持っているのはその遺伝子の元の持ち主ではなく、それを研究した人であり組織だ。従ってその特許がもたらす利益にも、元の持ち主はあずかることができない。

ここには遺伝子や組織の「所有権」を元の持ち主に認めてしまうと、研究の妨げとなり多くのそれによって救われる患者にとって不利益をもたらすという考え方があるという。
が、実は、巨大バイオ企業がこれら特許を持っていても同様のことは起こる。
特許を持っている企業は他の研究者にこの生体物の使用を無条件には許可しないだろうし、患者に使用されるワクチンなどにはその特許料が上乗せされるから、高価すぎて手がでないということも起こりうる。

しかしこの判決の根本には、欧米法では我々は自分の身体を「所有」していないという事実も存在する。
(日本の法律もそれに準じているから同様なのだろうか?)
これは、かなりインパクトある事実だ。
では人間の身体は誰のものなのか?
法の世界では、身体はモノではなく、従って所有権も認められることはないということになる。
(しかし、一方で、研究者と研究者の属する組織には、その組織を加工した生体物の権利を認めているというのは、私にはなんだかよくわからない)
法によると所有はおろか、売買もできないはずの人の身体とその一部は、現実には、譲渡もされているし、売り買いもされている。

同様に人間もモノではない。
だが、誰もが知っている通り人身売買は存在している。
人身売買を公に肯定する人はいないだろう。
しかし、ボディショッピングー「人の身体の一部を商品とみなし売買すること」を肯定する意見は少なくないという。
この違和感と矛盾を著者は特に強調している。

ボディショッピングを肯定する識者は、自由主義経済市場に逆らうことはできないし、例えば組織や卵子の売買によって、不妊治療に苦しむ女性は子供を持てるし、売り手は収入を得られてwin-winではないかという。
実際は裕福なカップルは貧しい女性の卵子は欲しがらない。
彼らが欲しがるのはIQが高く高学歴で容姿端麗な自分たちと同じクラスの女性の卵子だ。貧しい女性の卵子は、専ら研究用として需要される。

この現象は極めてシニカルだ。


また、バイオテクノロジーは我々が思っているより進化しているが、実は我々が期待しているような夢の技術でもない。

自分のパーツのスペアを可能にする技術として多大な期待が寄せられている幹細胞(ES細胞)技術。
夢のパーツスペアキットだ。
これが可能になれば他人からの臓器移植に頼らなくてもよくなる。しかも免疫の問題からも解放される。
だが、ここにも落とし穴はある。

幹細胞株をつくるには卵子を用いる。(山中教授が成功した方法は卵子を使用しないが、残念ながらまだヒトには応用できる段階にないらしい)
この研究には尋常ではない数のヒトの卵子が必要なのだ。
幹細胞株が得られる確率は動物の卵子の場合でも、恐ろしく低いからだ。
しかしこの卵子の集め方についてはメディアに取り上げられることはない。
その研究用の卵子を大量に集めるために貧しい東欧の女性は搾取されていると著者はいう。
そして胚性幹細胞を作るには受精卵を破壊することが必要になってくる。

卵子そのものも命になりうるものだし、大量の卵子を捕獲するためにこれまた大量の排卵誘発剤を投与された女性の健康被害も、華々しいクローン的治療の技術確立の影に隠れている。
これら、メディアでは決して取り上げられることのない真実は、考えさせられる問題だ。

仮にヒト卵子から作られた幹細胞株が、自分のパーツのスペアを作ってくれるとしても、それは想像以上の犠牲の上に成り立っていることを思い出さなければならない。

受精卵を犠牲者として数えるなら、他人の臓器を移植する方がはるかに倫理的な気がする。


ボディショッピングをめぐるバイオテクノロジーと人間の尊厳にかかる問題は、大きく深淵だ。
多面的に実情を把握する必要があるし、様々な国の過去と現在の事情と哲学、法律も広く議論されるべきだろう。


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category: ポピュラーサイエンス

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tag: ノンフィクション    バイオテクノロジー 
2011/01/19 Wed. 11:00 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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