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読書日記、ときどき食日記

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ピダハン 〜「言語本能」を超える文化と世界観 / ダニエル・L・エヴェレット 

Pirahã 2"ピダハン”とはアマゾン奥地に暮らす少数民族のことである。彼らは世界で最も研究されていない部族で、世界のなかでもかなり特異な言語を操るという。
本書は、著者が30年以上にわたってピダハンとともに暮らし、学んだことをまとめた科学的ノンフィクションである。
言語に興味がある人にはいうまでもないが、そうでなくとも秘境ものの体験記としても楽しめるよう、ユーモアもたっぷりとまぶされている。驚き、興奮し、クスっと笑えること間違いなし。

さて、著者ダニエル・L・エヴェレットは認知科学者であり言語学者でもあるが、当初このピダハンの人々の元にやってきたのは、キリスト教福音派の伝道師としてだ。
彼に課せられた使命は、聖書をピダハン語に翻訳して、アマゾンの奥地に暮らす原始的な人々に、イエスの言葉を伝えること。全く宗教というヤツは…

DanielEverett.jpg著者はこの使命に、全人格を持って打ち込んだが、ピダハン語は特殊すぎただ。
彼らの言葉にはいわゆる挨拶「こんにちは」「ご機嫌よう」「ありがとう」「すみません」といった表現はないという。
そればかりか、右も左も、色の名前も、数すらもない。言葉だけでなく概念そのものがないのだ。
では、左右をどう表しているのかといえば、川の上流のほう、下流のほうという言い方をするのだという。ピダハンの暮らすのは、アマゾン川の支流の支流のそのまた支流のマイシ川近辺だ。彼らの脳には、常にどこにそのマイシ川があるか、というのが感知されているのだという。

ピダハン語に赤や黒とかといった色名がないとはいえ、彼らが色を見分けられないとか、表現できないとかいうわけではない。例えば、「血は汚い」が黒、「それは見える、透ける」が白、「それは血」が赤、「いまのところ未熟」が緑といった具合に、感知した色を句で表現するのだそうだ。
数にいたっては、エヴェレットはピダハンに請われ1から10までの数え方を教えたことがあったが、8ヶ月かけても誰一人として数えられるようにもならなかったし、簡単な計算もできるようにはならなかったという。彼らが怠けていたわけではない。どうやら彼らにはそもそも数そのものの概念が存在しないらしいのだ。
他にも、エヴェレットは、どの言語体系にも必ず存在するはずの数量詞すらないことに気づく。

ピダハン語は、言語学上の定説となっていたノーム・チョムスキー生成文法(人間には言語本能があり、全ての人間の言語に普遍的な特性があるというもの)を打ち崩した。
サブタイの"「言語本能」を超える文化と世界観”というのは、これに所以している。ピダハンの言語は、チョムスキーが提唱した普遍的特徴の例外だったのだ。

Pirahã worldピダハンによって崩れさったのは、言語の普遍性だけではなかった。
多くの困難を乗り越え、エヴェレットは、聖書をピダハン語に翻訳するという偉業を達成する。これで、正しい言葉が伝わりピダハンは感動に涙するはずだった。しかし、ピダハンたちはイエスを拒絶するのだ。「おれたちにはイエスはいらない」

福音もカルトも程度の差こそあれ、そのやり口は同じだ。
洗脳するためには、「救いの前に、迷わせなければならない」つまり、不幸にさせておいてから、助けてあげるよ、と手をさしのべるのがポイントだ。
しかし、そもそもピダハンたちは、イエスなどいなくても充分幸福だったのだ。思えば、ダニエルがピダハンの村に初めて降り立ったときに衝撃を受けたのは、ピダハンたちがそれはそれは幸福そうなことだった。事実、ピダハンには精神疾患はないという。彼らは自分たちのことは自分たちで守れるし、死も身近なものとして受け入れてもいる。
加えて障壁となったのは、ピダハンの認知が自分たちの直接体験にしか及ばないことだった。直に体験したことでない限り、ピダハンにとっては無意味なものなのだ。
「おい、ダニエル、イエスの肌は白いのか、黒いのか?」という問いに、彼は答えることができない。著者自身もイエスに直接会ったことがないからだ。実証を要求されれば、創世神話は成立しないのだ。
洋服も着ず、ほぼ裸で、自給自足の生活をアマゾンで送っているピダハンたちは、実は非常に科学的な部族なのだ。
ピダハンの言語と文化への理解が深まるにつれて、著者自身の信仰も薄れ、やがて無神論へと傾いていく。そればかりか西欧文明にすくう普遍性の幻想自体に疑問を抱くようになる。
いわば、ミイラとりがミイラになってしまったのだった。

ピダハンたちは、とても限られた地域に暮らし、魚を捕り、子供たちと笑いあい、兄弟を愛し、マラリアで死んでいく。私たち西欧文明からみれば、原始的ともいえる生活だ。
しかし、そんなピダハンたちの文化は、マイシ川の近くで長い営みを経て受け継がれてきたものであり、そこで暮らすには一番理にかなっているのだと思う。
それと同じで、いくらピダハンが幸福そうでうらやましいとはいえ、日本に暮らす私たちに、ピダハンの文化は適さないのは言うまでもない。
結局、文化とは比較してどちらが優れているとかいうべき対象ではないということなのだろう。


ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観
ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観
(2012/03/23)
ダニエル・L・エヴェレット

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category: ノンフィクション・新書

thread: 最近読んだ本 - janre: 本・雑誌

tag: アマゾン  言語  ノンフィクション 
2013/04/10 Wed. 09:25 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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