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読書日記、ときどき食日記

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悪い奴ほど合理的 腐敗・暴力・貧困の経済学 / レイモンド・フィスマン+エドワード・ミゲル 

テニスはクレーシーズン真っ只中。
ローマはなんとフェデラーが初戦敗退。産後でお疲れ?
ってフェデが出産したわけじゃないけど…

ナダルもなんとか勝ってはいるけど、どうしたこと?フォアもバックも駄目駄目じゃん。
今年の全仏はかなりヤバそう…



gangster.jpgそんなナダラーの動揺はさておいて、少し前に『ヤバい経済学』 という本がベストセラーになった。
これがタイトルから想像する以上に大真面目な経済学の本だったのだが、この『悪い奴ほど合理的』もそれと同様。面白おかしい類いの本ではない。大真面目だが、経済学などには無縁の我々の興味を惹きつつ、視野を広げ、物の見方を変えさせてくれる本である。

「合理的」という言葉には、私は割と良いイメージを持っていたのだが、本書においてはそうとも限らない。換言すれば「自己利益に奉仕する」ということであり、レストランでチップを払わないとか、もっといくと納税を誤摩化す、などの所行もそれに挙げられる。

ちょっと話は逸れるが、以前、友人が「どうすれば合理的な恋愛ができるか」ということに頭を悩ませていた。私としては恋愛や愛情の類いは利他的なのもので、合理性とは相反するものだと当然思っていたので、とても驚いたものだった。
それに、恋は「落ちる」ともいうのだから、合理的に「する」ことが可能なら、古今東西文学のテーマになっているわけがないし…
しかし、本当にそうなのだろうか。恋愛における感情と相手のリアクションというものは数値化できないのだろうか?そのパレート効率性は求めることができないのだろうか?それはそれで面白い研究になりそうではある。

本筋に戻そう。
私たちが脱税をしたり1万円のために人殺しをしたりしないのは、法的な処罰があるからだけでなく「それが正しくないから」だ。要するに私たちは常に「良心の制約」を受けており、それがゆえに完全に合理的(利己的)であるとは言えない。
だが、例えばかのアル・カポネや経済ヤクザのような反社会的な輩は、良心の咎めによる足枷がない。普通の人が良心の咎を感じるようなシーンであっても、利己的な行動がとれる。そういう輩を「経済ギャング」であると定義でき、意訳すれば「悪い奴ほど合理的」だということになるわけだ。

もっとも過ぎたるは及ばざるがごとし。インドネシアでスハルトが長く独裁を敷くことができたのも、ひとえにその「合理性」の塩梅がよかったからで、某隣国の船会社の会長にように欲をかきすぎれば、自分の首を絞めかねない。

money3著者のフィスマンとミゲルの研究は、アフリカの貧しい国の人々が、先進国の援助や債務免除にもかからわず、未だ貧困状態なままなのはなぜなのかということにスタートしている。

どうすれば貧困国を救うことができるかについては、大きく相反する二つのものが紹介される。
ひとつは、『貧困の終焉: 2025年までに世界を変える』の著者J.サックスが提唱する「富裕国がもっと援助すれば、2025年までには貧困を終焉させることができるだろう」という"もっとじゃんじゃん援助すべき派"
いまひとつは、いくら援助したところで、受け手側の国々がよい統治をし、腐敗や汚職に目を光らせる制度が機能しないがぎり意味がない。」"援助の前に受領国は秩序を整えるべき派"である。

これらは、まさに「鶏が先か卵が先か」の論理だ。それぞれ論理的で筋は通っているものの、その両方に問題はあるという。そして、その有効性が実証できない限りは、どちらも単なる論理に過ぎない。

もっと現実的な回答を得るためには、腐敗、暴力、貧困の複雑な因果関係を理解しなくてはならない。途上国の貧困問題を語るに、「経済ギャング」の存在を避けて通るわけにはいかないからだ。
貧困という難題を解決するためには、これまで数値化されずデータの蓄積もなかったこれらの事実に踏み込むことが求められる。
先進国による巨額の援助金は、どこでどれくらい消失したがために、ケニアの道路は未だ寸断されたままなのか。灌漑設備は未着工のままなのか。経済ギャングの腐敗と暴力が、貧困に与えるマイナス面の影響を理解しなければ、それに対処する方法も見つからないままだ。これが本書の趣旨である。
人間についてのあらゆる問題は、結局のところは、人間の、良心の問題に立ち返る。それをまた、経済学の手法を用いて解き明かすのだ。

「好むと好まざるをにかかわらず、人間は腐敗、暴力、貧困その他の大罪に対して先天的な関心を抱いているようである」とは、著者の一人ミゲルの言葉である。この言葉が示すように、腐敗、暴力、貧困これらの具体例はかなり興味をそそられる。
例えば、スハルト大統領の息子であることは、一体どれだけの価値があるのか。スハルトの息子は大金持ちだが、それには、大統領の息子であるということはどれだけ寄与してるのか?この答えは、大方の予想通りだ。

またマンハッタンに勤める各国の国連外交官は、外交官特権を有しているために違法駐車をしても平然としている者もいるが、その常習者と彼の国の経済状態との関連性は?などなど…。

外交官特権があるため、彼らは違法駐車の罰金を支払わなくても罰せられることはない。どうせ罰せられないのだから、好き放題やってやれというのは、明らかに「経済ギャング」的行動である。
ただし、マンハッタンの違法駐車の罰金は、最貧国の国民の年収の二倍に相当するというのだ。ならば、最貧国の外交官が、それを未払いなのは、仕方のないことなのではないかというわけだ。
しかし、この未払い違法駐車を平然と行う外交官たちの中でも群を抜いていたのは、なんと最富裕国クェートの駐米大使Xだったという!(笑)
この大使X氏、どんな顔をしているのか見てみたいものだ。


悪い奴ほど合理的―腐敗・暴力・貧困の経済学

レイモンド・フィスマン (著), エドワード・ミゲル (著),
溝口 哲郎 (その他), 田村 勝省 (翻訳)
単行本(ソフトカバー): 294ページ
出版社: エヌティティ出版 (2014/2/24)




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category: ノンフィクション・新書

thread: 最近読んだ本 - janre: 本・雑誌

2014/05/16 Fri. 13:38 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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