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読書日記、ときどき食日記

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ジュリアン・ウェルズの葬られた秘密 / トマス・H・クック 

『キャサリン・カーの終わりなき旅』 のとき、もうこんな感じばっかりならトマス・H・クックは読まなくてもいいかと思ったのだが、評判がいいので読んでみた。

そうしたら、これが良かったのだ!
クックらしい暗部に焦点を当てた暗い話なのだが、細部にわたるまで行き届いていて読ませる。文学好きにはたまらないミステリだと思う。



boat on lakeさて、物語はジュリアン・ウェルズという一人の作家が自殺を遂げるシーンで始まる。彼はボートを岸から何をしているのか見えない位置まで漕ぎ、そこで手首を切ったのだ。まだ50代だった。

ジュリアンは、実際に起こった陰惨な事件ばかりを、綿密な取材のもとに被害者に焦点を当てて描く作家だった。スペインのクエンカで起きた無実の人間への拷問、当時ナチス占領下であったフランスのオラドゥールで起きた大虐殺、ジル・ド・レ男爵と彼の手先だった"ラムフレイ(恐怖という意味)という名の老婆、若さを保つために処女の血を浴びたエリジェベート・バートリ伯爵夫人、そして最後にロシアの連続殺人鬼アンドレイ・チカチーロ。彼には鞭打たれるひりついた痛み、棍棒の重い衝撃、ナイフの切っ先を読者に実感させる才能があった。

彼の幼馴染みで親友だった文芸評論家のフィリップは、突然の親友の自殺にショックを受ける。
Argentinathe 2ジュリアンの妹のロレッタによると、彼は執筆に取りかかる前に必ずこれから行く国の地図を調べ本を読んでいたのだ。そして最後に見ていたのはアルゼンチンの地図だった。
アルゼンチンは30年前、フィリップとともに旅した土地だったのだ。
一旦は、ジュリアンの死を受け入れたフィリップだったが、ジュリアンの死について父親と交わした会話によって、彼の死の真相を突き止めようと決心する。
ジュリアンは、フィリップの父親の大のお気に入りだったが、父は「ジュリアンが知っていたのは暗闇だけだった」といったのだ。若い時のジュリアンは、全速力で駆け抜ける輝かんばかりの明るい青年だったはずだ。
フィリップの父がそうありたいと望んだ真の偉業を成し遂げる能力を持った人間、それが彼だったのだ。そんな彼の自殺の理由がわからないままでは、自分が壊れてしまいそうだった。

そんな時、ジュリアンの処女作「クエンカの拷問」の献辞が目にとまる。「わたしの犯罪の唯一の目撃者、フィリップへ」
今までこの"罪"という言葉は冗談めかした皮肉だろうと思っていたが、そうではなかったのかもしれない。ジュリアンは自分に何か隠していたのではないか。自分が気づいていない犯罪が行われ、ジュリアンはその罪から逃れようと暗闇でもがき、ついに力尽きたのではないだろうか。
そして30年前に共に旅したアルゼンチンで、マリソルという若い女性ガイドが突然行方不明になったことを思い出すのだった…

舞台はニューヨークからパリ、オラドゥール、ロンドン、ブタペスト、ロシアのロストフ、アルゼンチンと移っていく。これらは全てジュリアンが執筆のために訪れ滞在した国々だ。フィリップはジュリアンの秘密を探るため、彼の足跡を辿る旅に出る。



章立てもジュリアンの著作のタイトルがつけられているという凝った造りだ。取り上げられている悲惨な事件も読み応えがあるし、ジュリアン自殺の真相にもひと捻りある。
だが、本当に驚かされるのは終賞の仕掛けで、ああ、そういうことだったのか!と感嘆するにちがいない。
そう思って読み返すと、各賞のタイトルがなぜジュリアンの著書名であるのかも理解できるし、伏線すら見つけることもであきる。
それでいてこの文学性はどうだろう。フィリップがジュリアンの秘密を探る旅は、さながら人間の闇の深淵にまで潜っていくかのようだった。
この物語のキーとなっているヘンリー・デイヴィッド・ソローの「子供は戯れに蛙を殺すけれども、蛙は真剣に死ぬ」という言葉が響いた。

Saturnodevorandoasuhijo.jpgいつだったかの読書会で、例えばケッチャムのように何の救いもない陰惨な小説ばかり書く小説家について話題が及んだことがある。
ある人が、あの種ものは単にサディズムを煽るだけではないのかと言ったのだが、その時はそれに反論できる説得力のある言葉を見つけることができなかった。その答えは本書にあった。

ゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」のような絵も、ただ、ただ陰惨なだけに見えるケッチャムにもちゃんと意味はある。世の中は光の当たる部分だけで出来ているのではないし、誰しもがジュリアンと同様「サトゥルヌスの罠」に落ちてしまうこともある。だからこそその闇の存在を忘れてしまわぬためにも、その種の絵や本は存在価値を持っているのだと思う。

ところで、スペインの画家ゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」は、西洋絵画史上最も戦慄を感じさせる絵とも言われている。
サトゥルヌスは、空神ウラノスと大地の女神ガイアの間に生まれた6番目(末弟)の巨人族で、ローマ神話における農耕神のほか、土星の惑星神や時の翁(時の擬人像)としても知られている。この絵は、サトゥルヌスが我が子のひとりによって王座から追放されるとの予言を受け、次々と生まれてくる息子たちを喰らう逸話を元にしたものだという。丸呑みではなく頭からバリバリとかじる描写はあまりに生々しい。

このゴヤの絵については、さらに興味深いエピソードがある。黒い絵シリーズは晩年ゴヤが暮らした家(聾者の家と名付けられていた)の壁に書かれていたため、壁面から画布への移植作業が必要だった(プラド美術館所蔵)のだが、その際に撮影されたX線写真から、制作当時はサトゥルヌスの男性器が勃起した状態で描かれていたことが判明したのだというのだ。
今はご覧のように黒く塗りつぶされているのだが、移植作業の際に性器部分が剥落したとする説と、あまりにもおぞましく猥褻である為に修復家が手を加えたとする説があり、後者のほうが有力視されているそうである。



ジュリアン・ウェルズの葬られた秘密 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

トマス・H. クック (著), 駒月 雅子 (翻訳)
早川書房 (2014/2/7)


Kindle版はこちらから→ジュリアン・ウェルズの葬られた秘密




ローラ・フェイとの最後の会話 (ハヤカワ・ミステリ文庫 ク 17-1)

トマス H.クック (著), 村松 潔 (翻訳)
早川書房 (2013/8/5)






緋色の記憶 (文春文庫)

トマス・H. クック (著), 鴻巣 友季子 (翻訳)
文藝春秋 (1998/03)






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category: 歴史・大河・ドラマ

thread: 最近読んだ本 - janre: 本・雑誌

tag: 海外ミステリ  早川書房    クック  ゴヤ 
2014/05/23 Fri. 22:59 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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