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読書日記、ときどき食日記

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梅雨の時期こそ冒険小説!『燃える男』読書会 

全仏はナダル優勝という素晴らしい結果に終わり私はホクホク。うほぅ〜本当によかった〜〜〜〜!!!
しかし、この『燃える男』 は今年はヤル気満々。
毎年恒例のユーロ・ディズニー(←子供!)に行かず、すぐに芝の試合に出るらしい。でも、ウィンブルドンは、怪我さえしなければそれで充分だから…


精神状態も落ち着いたところで、遅ればせながらこの間の『燃える男』 読書会のことなどをご紹介。
(※読書会レポートなので以下思いきりネタバレありです)


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この日は生憎の大雨だった!
神奈川県東部にも大雨洪水警報が出され、横浜駅から数分の待ち合せ場所まで歩くだけで既にズブ濡れ。もしかしてドタキャンとかもあるかもと思っていたが、定連さん15名全員は勢揃い。
みんなすごいな、ヤル気あるな…

さて、今回のプレゼンターはKameさん。
デニス・ルヘイン(レヘイン)のパトリック&アンジーシリーズの翻訳などもなさっている大御所翻訳家なのである。

ところで、今回のテーマの冒険小説とは何ぞや。私自身、ハードボイルドやスパイ小説、一部の犯罪小説などとごっちゃになっている。昨今は特にジャンルミックスな小説も増えており、その境目は曖昧だ。そこをKame さんはこう定義している。

「冒険小説とは、主人公が(多くの場合偶然に)自分自身から不特定多数の他人にいたるまでの、人間の生命にかかわる、あるいはそれと同程度の危機に遭遇し、自らの力でその危機を克服していく"過程”を中心に描いた物語である」

おお!なんという的確な定義。
煎じ詰めれば冒険小説はその"過程”を楽しむ小説であるので、戦争小説、時代小説、SFといった多くの分野と共有可能であるのだという。
これについてもっと詳しく知りたいという方はこちらをどうぞ→冒険・スパイ小説ハンドブック

『燃える男』 はこの定義にぴったりと当てはまる。
この本は昨年末の忘年会の文庫交換会で、Kameさんから私が貰ったのがこの本だったのだ。

ストイックで頑な古典的ヒーロータイプの主人公と、彼を彩る"強い”女たちに地中海に浮かぶ美しいゴゾ島の風景、やりすぎ感のないプロットと、全てが纏まっていて読後感も良い。
主人公のクリーシィーが、心に傷を負っている寡黙なヒーローということも相まって、ほのかに70年代への懐古趣味を誘うところも良かった。後半、一気に畳み掛けるようなアクションシーンは梅雨のうっとうしさを吹き飛ばすこと請け合い。
(読んだことあるけど、えっと、どんな内容だったっけ…?という方はこちらをどうぞ→ http://spenth.blog111.fc2.com/?q=燃える男)





皆の感想はこんな感じだった。

・ピンタがすぐに殺されてしまったのに驚いた。

・ステレオタイプの救出劇でないところがいい。

・舞台がイタリアというせいもあるのか、文体に悲壮感がなくカラっとしている。

・ゴゾでの描写に魅せられた。

・リカ、ナディアという女たちの強さがいい。

・「頑張れ!クリーシィー!」というステッカーは、
 「魔女の宅急便」を想像させた。

・痛快で、よく出来た少年漫画みたい。


最も多かったのは、ピンタがあっけなく殺されてしまったことへの驚きだった。
ところで、この『燃える男』は新潮文庫や集英社文庫など複数の版元からでているのだが、新潮版はあらすじに「ピンタが殺害される」と書かれているのだそうだ。
これには批判もあって、予備知識なく読みたかったという声もあった。

新潮にしてみれば、この小説の読みどころはクリーシィーがピンタを失ってからの再生の物語にあるのだから、差し支えないと考えたのかもしれないが…




ScottGlennまた、この作品は過去に映画にもなっている。新しいものはD.ワシントン『マイ・ボディガード』だが、この日マリコさんが87年制作のスコット・グレン主演の『Man on Fire』のDVDを持ってきてくれた。
D.ワシントンは既に人種的にクリーシィーとは異なるので問題外だが、かといって優男風のスコット・グレンでもない。クリーシィーは、もっとゴツくて無粋な感じではないだろうか。
海外ドラマ「Lost」のジョン・ロック役の人だという人もいたけれど、私のイメージだと今よりもう少し歳のいったジェイソン・ステイサムかな。

D.ワシントン主演の映画では、ピンタは殺されず物語は彼女の救出劇となっているのだそうだ。そこはアメリカ的というかなんと言うか…。
原作と映画の脚本が大きく異なることはよくあることだが、それだと本当にステレオタイプの救出劇となってしまう。

この小説の良いところは、そもそも人生の目的を見失っている元傭兵の前に一旦天使を出現させておいて、それを取り上げる点にあると思うのだ。その強烈な喪失感が彼の復讐心に火をつける。それで初めてゴゾでの再生の物語がはじまるのだ。

私自身は個人的に女たちの「強さ」に惹かれた。
ビンタの母親、リカの強さ!そのリカに夫の運命を委ねさせるクリーシィーの判断もまたいいではないか。そしてなんといってもナディアだろう。
これから死ににいく男を「仇をとってらっしゃい」と送り出し、密かに子供をなす。なんという強さだろうか。
イタリア男(に限らずラテン系は)皆一様にマザコンで、地中海の島々はマリア信仰が強く根付いているが、それらは女性の強さに基づいているのだろう。

『魔女の宅急便』とか少年漫画云々は…ごめんなさい。私はちょっとピンとこなかった。漫画を読まないことに加えて世代差もあるのかな… (汗)




概ね好意的だったが、マイナス要因としては以下のような意見もあった。

・クリーシィーが寡黙なせいか、あまり感情移入ができなかった。

・ナディアの登場は余計では?
 復讐劇というストーリーの妨げになる。

・ナディアが妊娠を知って、グィドーがクリーシィーの復讐を止めようとしたのは余計だった。


う〜ん、確かにクリーシィーは寡黙で高倉健みたいだが、これは逆に延々とクリーシィーの心理描写などが描かれてしまったら興ざめしてしまうのではないだろうか?

それから、ナディアの存在は絶対必要でしょう!この手のものに「おネエちゃん」は必要不可欠でしょう!
ナディアの存在は物語に色恋を添えるだけではなく、彼の再生を助けるという意義をも持っている。「何かを失い、何かを得る」というのは太古からストーリーの常套手段であるが、ナディアはピンタにかわる存在として必要だと思う。
ルパンに不二子が不可欠なように、冒険小説に「おネエちゃん」は欠かせない。だから『グレイマン』は物足りないのだ。だから、毎回毎回ただの通りすがりのいい人で終わってしまっている。

グィドーの余計なお世話については、私はこれは友人ならば当然だと思ったが、私は少数派だった。
生きて帰る見込みの少ない復讐だ。現実的に考えれば、新しい家族ができるのならば、復讐よりもこれから家族とともに「幸福になる」ということに目を向けたほうが余程いい。70年代的ヒーローのあり方と現実主義は共存しえないのかも。


他には、いつもミステリを中心に読んでいるので、つい誰が裏切るかということを念頭に読んでしまったという人も。プロットがシンプルなため少々がっかりしたらしいが、まぁそこは冒険小説と本格推理小説では読みどころが違うので…。

この小説はこれでもう完成してしまっているので続編は必要なかったかなと思う。クィネルにも大人の事情というヤツがあったのかもしれないが。



燃える男 (集英社文庫)

A.J. クィネル (著), 大熊 栄 (翻訳)
集英社 (2000/04)






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category: 読書会

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tag: 読書会  映画化  冒険小説 
2014/06/10 Tue. 19:06 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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