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読書日記、ときどき食日記

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キャッチャー・イン・ザ・ライ / J.D.サリンジャー 

さて、『ライ麦畑でつかまえて』を読んだのはかなり昔の若いころ。
それが、春樹さんが翻訳し、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」となって今またじゃんじゃか売れているのだという。
昔、読む前は、タイトルからして、オハイオかどっかのアメリカの田舎の麦畑で金髪の少年少女が「あははうふふ」などと追いかけっこをし、女の子のかぶっていた麦わら帽子が飛ばされて、ごにょごにょ...といった物語だとばかり思っていた。
しかし、これがそんなイージーなイメージに反して、ニューヨークが舞台にした非常にセンシティヴな少年の物語なのよね、これ…。

最初にこれを読んだのは、ホールデンとほぼ同じ高2の頃で、野崎孝さんの翻訳によるものだ。
『村上春樹 雑文集』を読んで、急に読みたくなり、今回新たに白水社の野崎訳と村上訳、両方を読みくらべてみた。

村上春樹訳は出版されたとき話題になってはいたが、私は今回が初めて。
ところで関係ないのだが、前エントリでも少し触れた「中2賞」って、こういう小説が選ばれるのかと思ってたわ…。
『ライ麦畑でつかまえて』といえば、独特の一人称の語りである。独り言のようでいて、そうでもない。今、読んでも全然古さを感じない。こういうの、割と今の若い子に向いていると思うのだけどな。

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)
(1984/05)
J.D.サリンジャー

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さて、主人公はホールデンという少年である。彼は学校になじめず放校処分になるのだが、ある時期ホールデンはもう一人の自分でもあった。もちろんホールデン少年と違って追い出されはしなかったし、それなりにうまくやってはいたが、なにか「違うな」と思ってもいたのだ。なので、この本を読むと当時の自分を思い出す。
本当に毎日うんざりしていた。色んなことに腹がたっていたし、全てのことが下らないと吐き捨てたホールデンには大いに共感したものだった。
ホールデンのニューヨーク逃避行は、私は、楽しいものではなかったのじゃないかと思った。どうのこうの言っても、彼はまだ16歳の子供だったのだ。大人の扱いをされないし、されたとしても、大人の対応というものができない。所詮は、お坊ちゃんのお遊びで、そのことはかえって、本人を傷つけたりもしている。
学校の同級生なども、出会う人々は全てホールデンにいわせれば「下らない奴ら」だが、バカではないので、そういう自分もそれほどのものでもないということがわかっているのだから。

当時、野崎訳を読んだときは、このホールデンの物語は、孤独な少年の葛藤を描いた青春小説だと思っていた。
ホールデンが唯一なりたかったものは、「広い広いライ麦畑のようなところにいる大勢の子供達が崖から落ちそうになったら、キャッチする役」だと妹のフィービーに話しているが、その崖から今にも落ちそうになり恐怖を感じているのは、ホールデン自身で、「捕まえ役」になりたいというよりはむしろ、「捕まえてほしかった」のだと思っていた。

しかし、村上春樹訳を読んでみると、様相がまるで異なっていることに気がつく。当時、あれほど共感したナイーブさは、もしかして病んでいたのかもしれないなどと思ってしまう。いわれてみれば、ホールデンが語りかけている「君」は、読者ではなく、病んでいるホールデンの中にいるもう一人のホールデンなのではないかという気さえする。
冒頭と最後にホールデンがいる場所は、村上訳では象徴的なものになっている。その"崖”とは、現実社会との境界線なのかもしれない。
もっといえば、ホールデンが自分自身である「君」に語った物語は、現実のストーリーなのか、それとも彼の中だけの物語なのか。そう読んでいくと、ニューヨークでの出来事は全てが暗喩的に思えてくるのだ。
かなりサイコに読むことも出来て、春樹的世界に通じるものがあるなぁと思ってしまった。
この村上春樹訳による『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、私には、全く別のもうひとつの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』に思えた。
『雑文集』のなかでも、彼は「翻訳は趣味」といっていたが、まさにその通りで、彼の解釈もたぶんに反映されているのかもしれない。

巻末に、本来は翻訳者による解説が付け加えられる予定であったのだけれども、原著者の事情によりそれがかなわなかった旨の記載があったが、読んでみたかったな…。


キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)
(2006/04)
J.D. サリンジャー

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category: 文芸

thread: 最近読んだ本 - janre: 本・雑誌

tag: 村上春樹    サリンジャー  米文学 
2011/04/19 Tue. 14:51 [edit]   TB: 0 | CM: 4

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この記事に対するコメント

ありがとうございます。

ありがとうございます。
えへへ。なんか照れちゃいますね...汗
また、遊びにいらしてください。

Spenth@ #- | URL | 2011/08/02 Tue. 18:58 * edit *

こんにちは。
カズオイシグロの記事の次に書いてあったこちらの記事も読んだら、
ものすごく「キャッチャー」が読み返したくなり、再読した次第です。
Spenth@さんの文章は、魔力がありますね(^^)/

私は村上訳しか読んだことがなく、
それも恥ずかしながら、初見が30代に入ってからでしたので、
神経症の子の手記、とすっかり思い込んでました(><)

ホールデン君の神経症的不器用さと真っすぐさ、
むき出し加減(うまく言えないけど、世間にむかって
生の個がむき出しでさらされている、ような)を感じて、
ひりひりと痛かったです。

その後、『サリンジャー戦記』を読んで、
どうも村上訳と野崎訳は違うらしい、とは知っていましたが、
Spenth@さんの記事を読んで野崎訳も読みたくなりました~。

corara #- | URL | 2011/07/12 Tue. 09:41 * edit *

Re: 「雑文集」読まなくては・・

naoさん、こんばんは。

野崎孝さんでしたね...(汗)
こそっと直しときます。

> (この数年の開きは、読者の環境の変化が大きいから、読後感の差もまた大きいかも)
> 「ライ麦」はしかし、昔読んだその一度きりで・・。
> (村上訳のモノは持っているものの、長く積読状態)。

はい。また今読むとなんか違う感想を持っちゃいますよね。
もっと歳をとってからだと、懐かしみの境地になるのかな、とか。

その点、ミステリなんかでもう一度読み直したいと思うのは、殆ど皆無といってかも。
改めて、松本清張は偉大ですね。

> ただ、今年になってグラース家の「「大工よ・・」「シーモア」など、
> 読み返す機会がありましたが・・よい読書体験でした。

ブンガク青年だったんですね。
私は名作といわれているものでも、読んでないものが結構多いです。

> ブログの最後、村上訳についての是非がふれられてありますが、
> 自分もその思われているころに同感です。
> (基本、作品のニュアンスは翻訳者の美意識)。


> 次の再読は「グレート・ギャツビー」(・・違うか)。

チャンドラーよりは、こちらかなと思っていますが、いつになることやら。


Spenth@ #- | URL | 2011/04/19 Tue. 20:57 * edit *

「雑文集」読まなくては・・

  
オッ・・「ライ麦」ですかぁ・・懐かしい。
Spenth@さんの読まれたのは高2の頃だそうですが、
自分はぐっと遅く、小汚い20の頃でした・・野崎訳(野沢?)。
(この数年の開きは、読者の環境の変化が大きいから、読後感の差もまた大きいかも)
「ライ麦」はしかし、昔読んだその一度きりで・・。
(村上訳のモノは持っているものの、長く積読状態)。
ただ、今年になってグラース家の「「大工よ・・」「シーモア」など、
読み返す機会がありましたが・・よい読書体験でした。
ブログの最後、村上訳についての是非がふれられてありますが、
自分もその思われているころに同感です。
(基本、作品のニュアンスは翻訳者の美意識)。

次の再読は「グレート・ギャツビー」(・・違うか)。

nao #6gL8X1vM | URL | 2011/04/19 Tue. 20:01 * edit *

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