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キャッチャー・イン・ザ・ライ / J.D.サリンジャー
しかし、これがそんなイージーなイメージに反して、ニューヨークが舞台にした非常にセンシティヴな少年の物語であり、意表をつかれたのを覚えている。
一番最初にこれを読んだのは、ホールデンとほぼ同じ高2の頃で、多分白水社からでてい野崎孝さんの翻訳によるものだったのだと思う。多分今でも実家のどこかにあるのだろうけど、どこにしまい込んだのだろう?
『村上春樹 雑文集』を読んで、読みたくなって今回新たに白水社の野崎訳と村上訳、両方を読みくらべてみた。
村上春樹訳は、これが出版されたとき話題になってはいたが、私は未読で今回初めて。
ちなみに前エントリでも少し触れた「中2賞」って、こういう小説が選ばれるのかと思ってたけれど、これも受賞作を知って驚いた。
本屋さんよ。本当にそんなんでよいの?
『ライ麦畑でつかまえて』といえば、その独特の一人称。
独り言のようでいて、そうでもない。今、読んでもなお新鮮だ。そして、古くならない。こういうの、割と今の若い子に向いていると思うのだけどな。
私は高校生のとき読んだけれど、中2で読んでも、高校、大学で読んでもよいのではないかと思う。
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ホールデンは学校になじめず、何校目かのペンシーを放校処分になるのだが、私もその当時、中高一貫のカソリック系の進学校の雰囲気に居心地の悪さを感じていて、ある時期ホールデンはもう一人の自分でもあった。
特に周囲はカソリックでありながら、自分は聖書やなんかをインチキ臭く感じていたことから、やたらと共感したものだった。
当時の自分との葛藤みたいなものを思い出す。
試験が近くなると、風呂にも入らず勉強しているとかいう臭いヤツもいたりして、それがこともあろうか私の前の席だったりなんかして、本当に毎日うんざりしていた。
だいたいが、10代の女の子なんて臭いのだ。新陳代謝が活発なんだもの。それがお風呂に入らないとなると、とんでもないことになる。風呂に入る時間まで惜しんで勉強することに何の意味があるのか。そのことを特別視しない周囲も完全に狂っていると思っていた。(今でもそう思ってるけど)
もうただでさえ、勉強一辺倒の学校生活にもうんざりしていたのに、高校2年の二学期の環境は追い打ちをかけるように劣悪だった。我ながらよくグレなかったものだ。
だから、色んなことに腹がたったし、全てのことが下らないと吐き捨てたホールデンには大いに共感できた。
ホールデンのニューヨーク逃避行は、楽しいものではなかったと思う。
彼はなんといっても16歳の子供であり、大人の扱いを受けないし大人扱いをされても、まだ大人の対応というものができない。結局はお坊ちゃんのお遊びであり、かえってニューヨークで過ごすことによって傷ついたりもしている。学校の同級生なども、出会う人々は全てホールデンにいわせれば「下らない奴ら」なのだけれども、そういう自分もまたそれほどのものでもない。
唯一認めることができるのはまだイノセントなままでいられる過去の自分の投影のような妹、フィービーと死んでしまった弟のアリーくらい。
当時、野崎訳を読んだときは、このホールデンの物語はかなりひねくれてはいるものの、青春小説だと思っていた。
ホールデンが唯一なりたかったものは、「広い広いライ麦畑のようなところにいる大勢の子供達が崖から落ちそうになったら、キャッチする役」だと妹のフィービーに話しているが、その崖から今にも落ちそうになり恐怖を感じているのは、ホールデン自身だと思っていた。
「捕まえ役」になりたいというよりはむしろ、「捕まえてほしかった」のだと。
いくつもの学校を放校になり、社会の枠組みになじめないホールデン少年。そんな葛藤を描いた小説だと思っていたのだけれど、時を経て、村上春樹訳を読んでみると、様相がまるで異なっていることに気がつく。
あれほど共感したナイーブさは明らかに神経症気味だ。
ホールデンが語りかけている「君」は、読者ではなく、病んでいるホールデンの中にいるもう一人のホールデンになっている。
野崎訳のときは全く嘘のように忘れてしまっていたけれど、冒頭と最後にホールデンがいる場所は、村上訳ではクローズアップされている。
その"崖”は、現実社会との境界線だったのかもしれない。ホールデンが自分自身である「君」に語った物語は、現実のストーリーなのか、それとも彼の中だけの物語なのか。
そう読んでいくと、ニューヨークでの出来事は全てが暗喩的だ。
成長するとはどのようなことか、という真っ当な読み方をすることは勿論、深読みすればかなりサイコに読むことも出来る。
ホールデンの中の分裂された世界がくっきりしている点において、非常にハルキ的だなぁと思った。
この村上春樹訳による『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は時代が変わり語彙が少し古くあせてきた野沢訳のデジタルリマインダー版ではなくて、全く別のもうひとつの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』だと思う。
『雑文集』のなかで、「翻訳は趣味」といっていたが、まさにその通りでこの村上春樹訳は、彼の解釈がそこかしこに、しかも顕著にみられる。
巻末に、本来は翻訳者による解説が付け加えられる予定であったのだけれども、原著者の事情によりそれがかなわなかった旨の記載があった。
解説、読んでみたかったなぁ。
まぁ、だからといって、自分の受けたイメージが変わるわけでもないのだけれど。
大学で原文にあたり、「ライ麦畑はかくありき」というかっことしたブンガク論をお持ちの方には、一言二言文句もあるかもしれない。
それに、プロの翻訳家の方だとこういう特定の色のついた翻訳の仕方はまずしないだろう。
でも、こういうのもありだと思った。
ひとつの物語が、翻訳者それぞれの物語となり、読者によってまたそれぞれ少しずつ違う物語となって残ってゆく。その方が、面白いじゃない。
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読んでいただき、ありがとうございます。

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この記事に対するコメント
「雑文集」読まなくては・・
オッ・・「ライ麦」ですかぁ・・懐かしい。
Spenth@さんの読まれたのは高2の頃だそうですが、
自分はぐっと遅く、小汚い20の頃でした・・野崎訳(野沢?)。
(この数年の開きは、読者の環境の変化が大きいから、読後感の差もまた大きいかも)
「ライ麦」はしかし、昔読んだその一度きりで・・。
(村上訳のモノは持っているものの、長く積読状態)。
ただ、今年になってグラース家の「「大工よ・・」「シーモア」など、
読み返す機会がありましたが・・よい読書体験でした。
ブログの最後、村上訳についての是非がふれられてありますが、
自分もその思われているころに同感です。
(基本、作品のニュアンスは翻訳者の美意識)。
次の再読は「グレート・ギャツビー」(・・違うか)。
nao #6gL8X1vM | URL | 2011/04/19 Tue. 20:01 * edit *
Re: 「雑文集」読まなくては・・
naoさん、こんばんは。
野崎孝さんでしたね...(汗)
こそっと直しときます。
> (この数年の開きは、読者の環境の変化が大きいから、読後感の差もまた大きいかも)
> 「ライ麦」はしかし、昔読んだその一度きりで・・。
> (村上訳のモノは持っているものの、長く積読状態)。
はい。また今読むとなんか違う感想を持っちゃいますよね。
もっと歳をとってからだと、懐かしみの境地になるのかな、とか。
その点、ミステリなんかでもう一度読み直したいと思うのは、殆ど皆無といってかも。
改めて、松本清張は偉大ですね。
> ただ、今年になってグラース家の「「大工よ・・」「シーモア」など、
> 読み返す機会がありましたが・・よい読書体験でした。
ブンガク青年だったんですね。
私は名作といわれているものでも、読んでないものが結構多いです。
> ブログの最後、村上訳についての是非がふれられてありますが、
> 自分もその思われているころに同感です。
> (基本、作品のニュアンスは翻訳者の美意識)。
> 次の再読は「グレート・ギャツビー」(・・違うか)。
チャンドラーよりは、こちらかなと思っていますが、いつになることやら。
Spenth@ #- | URL | 2011/04/19 Tue. 20:57 * edit *
こんにちは。
カズオイシグロの記事の次に書いてあったこちらの記事も読んだら、
ものすごく「キャッチャー」が読み返したくなり、再読した次第です。
Spenth@さんの文章は、魔力がありますね(^^)/
私は村上訳しか読んだことがなく、
それも恥ずかしながら、初見が30代に入ってからでしたので、
神経症の子の手記、とすっかり思い込んでました(><)
ホールデン君の神経症的不器用さと真っすぐさ、
むき出し加減(うまく言えないけど、世間にむかって
生の個がむき出しでさらされている、ような)を感じて、
ひりひりと痛かったです。
その後、『サリンジャー戦記』を読んで、
どうも村上訳と野崎訳は違うらしい、とは知っていましたが、
Spenth@さんの記事を読んで野崎訳も読みたくなりました〜。
corara #- | URL | 2011/07/12 Tue. 09:41 * edit *
ありがとうございます。
ありがとうございます。
えへへ。なんか照れちゃいますね...汗
また、遊びにいらしてください。
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