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読書日記、ときどき食日記

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恥辱/ J.M.クッツェー 

久々のクッツェー。
彼の作品は人間存在の奥深くを描き出し、実験的、寓意的、ポストモダンなどと論評されることが多い。が、こういう知ったか評論などはるかに超越して凄い何度読んでも、凄いよなぁと思ってしまう。
本書は割とリアルな大学教授の転落の人生を描いたもので、クッツェーの代表作のひとつでもある。

舞台は当時クッツェーが住んでいた南アフリカ。
主人公のデヴィッド・ラウリーは、ケープタウン大学の文学部教授だ。離婚歴は2回、かつては女性には苦労しなかったものだが、最近は外見的魅力も失せたために、エスコートクラブで週に一度その手の処理をしていた。
エスコートクラブでの時間は、デヴィッドにとっては、それなくしてやり過ごすことのできないほど大切な時間だ。つまり彼は、肌の触れ合いなしに人生は過ごせないタイプの男性なのだ。
ところが、契約していた娼婦ソラヤのプライベートを彼がみてしまったことで、ソラヤは娼婦をやめてしまう。
もう、自分は女性と関係を持つこともないのだろうかと思いはじめた矢先、メラニーという女子学生と関係を持つに至る。
デヴィッドにとってはそれは情熱だったが、メラニーにいわせれば、それはレイプだった。訴えられたデヴィッドは、大学を追われてしまう。
仕事も友人も失ったデヴィッドは、娘ルーシーがきりもりする田舎の農場に身を寄せることにするのだが…


帯には、「中年男がたどる悔恨と審判の日々」とあるのだが、私はデヴィッドはには悔恨の情などこれっぽっちも感じなかった。
そもそもデヴィドは、悪いことをしたとは思ってないし、開き直っているその態度はなぜだか憎めない。
適当に謝っておけば、大学にはいられたかもしれないのに、欲望にも自分にも正直すぎる。「何がいけなかったのだ?」とデヴィッドは”審判”のくだるその時まで思っていることだろうが、その様子はなんだかもの悲しくもある。

クッツェーの性の見方は面白い。
性は本能的なものだが、大学教授という知的な職業に就いているデヴィッドに、動物のように本能に従った行動をさせるのだ。デヴィッドはバイロンの詩ような美しいの世界を愛しているが、しかし文学で語られる愛と、我々が動物の時代から培ってきた本能はどれほど違うものなのだろうか。
本能を制御できるからこそ、人間なのだ誰しもと信じているが、クッツェーは、一体、アフリカのような土地においては、人間と動物の違いはどれほどあるのかとさえ、言っているように思える。
そして、彼に反省をさせない。彼が感じるのは「恥」だけなのだ。
そして、娘のルーシーにも災難がふりかかるのだが、その出来事はあまりにも動物的に描かれる。私たちが文化と呼び、尊んできたものは、どれほど脆いものなのだろうか。
本書が前代未聞の二度目のブッカー賞に輝いたとき、審査委員長は「力の発信源が西欧文明から離れていく」とコメントしたが、ここに描かれているのは、あまりにも強力な原始の力だ。

救いのない物語は、カフカの「審判」と重なるところもあるが、審判を待つという意味において、デヴィッドはヨーゼフ・Kそのものでもあるだろう。
Kは一体自分がどんな罪を犯したのかまるで理解できないままに、「犬のように」殺されていくが、デヴィッドもまた、その不条理な運命を受け入れて、審判が下されるその日まで生きる他、すべはない。

恥辱 (ハヤカワepi文庫)恥辱 (ハヤカワepi文庫)
(2007/07)
J.M. クッツェー

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tag: クッツェー    恥辱  アフリカ  審判 
2011/05/14 Sat. 19:42 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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